空港アクセスは、変わる、変わる、変わる。
誰だよ最新ネタブッ込むとか言った奴(お前だよ
どうも、最近課題に追われ始めたKumaichiです。
年明け3日には鉄道模型で遊ぶお誘いが来ているので、それまでにめどをつけらるように……。
え~とですね、最新ネタの記事に使う動画がまだ仕上がっていませんので、先に11月のシティーライナーに乗った日のことを書きます。
こっちはもう動画も出来てるので……w
それでは、スタートです!!
11/14の朝。見事に寝坊しました。最近寝坊多すぎです。
大慌てで自転車にまたがり、京成津田沼駅へ。
何とか予定の列車には乗れましたが、慌てすぎて序盤の録音に失敗。
結局2駅先からの録音になりました。何やってんだ。
サボを使う車両も、京成では3500形の未更新車のみ。多分関東の他の大手私鉄ではもう使ってないんじゃないかな。あ、ヘッドマークとは別物だからね。
古くてシンプルな運転台。手書き感満載の車番がまたいい味出してます。
現在の京成を担うAE形。登場して5年経ちましたが、登場して間もないころの輝きは今も健在。
シティーライナーが来るまで時間があるので、駅の外に出てみます。
スカイライナーのSマークは登録商標なんですね。
上野公園に直結の京成上野駅。恩賜公園の真下を通る鉄道なんて他にあるでしょうか。いや、ない。
しばらく歩くと、あぁ、ここが国会かぁ(
実はここ、昔京成にあった駅の跡。4両しか止まれず、営業時間も午前中から夕方までと短かったため、廃駅になったとか。
ここからは、以前書いた記事「シティーライナーとの思い出」より抜粋、一部編集したものをお送りします。
上野に戻ってきました。
200円ほど運賃が浮くので、シティーライナー乗車時には「成田開運きっぷ」を使用。
入線前に、有人窓口でライナー券を発券してもらいました。座席は2号車の15A
シティーライナーが入ってくる1番線には、3600形が待機。
この3600形が発車すれば、AE100形が入線してくるはず。
時刻表からこの列車が消えるのももうすぐ。
来ました。いよいよです。
だんだんと人が集まってきます。みんな鉄道ファン。
この瞬間、堪らない。
さぁ、乗りましょう!!
奇しくも座席の位置がなんとなくあやめの葬式鉄した時と似ています。
後ろの車両がT車なので連結器の根元からムギョムギョと音がします。
アスナさんもリクライニング全開でくつろいでいます。ローアンごちそうさまです。
それでは車内の探検と参りましょう。
運転席はこんな感じ。左から電圧計・速度計・圧力計が並ぶパネル。
右側の大きな装置は行先指令や電気的ないろいろを扱うスイッチ類。
真ん中の広いスペースは非常用扉。上野~日暮里や空港第2ビル~成田空港は地下区間ですが、後継のAE形は非常用扉を持っていません。それはなぜか?
実は、上記区間は非常用扉の付いていない車両でも乗り入れが可能です。実際、初代AE形も付いていませんでした。
これは、都営浅草線経由で羽田へ直通させる目論見があったためつけられたと言われています。
結局、スカイライナーが都営線内全駅通過とか言い出したところ知事が猛反対誰かは分かるよね(
浅草線乗り入れはイベント時の回送運転のみで終わってしまいました。
ちょうどこの日は、AE168Fが浅草線を通って馬込の車両基地で イベントに参加していたようです。
5号車には自販機があります。この左側にもありましたが、節電を理由に稼働していませんでした。
後ろにあるカウンターで一杯。お茶ですけどね。
「マスター、あの人にも同じやつを」 お茶ですけどね(2回目)
それから、空港特急の名残である荷物置き場。
ほんの数年前まではキャリーバッグでいっぱいだっただろうなぁ……。
座席はフットレスト付きのゆったり設計。海外の方が乗ることも想定したのでしょう。
多分青砥。この駅を出ると次は船橋。
駅メモや動画録ったりしているうちに終点の成田です。1時間に満たない、あっという間の乗車でした。
反対側へ移動。
今度は警笛付き。同じ場所で撮っていた撮影者は10人程度だったかな。
駅を出て、空港まで歩くつもりでしたが、途中で気が変わってやっぱり芝山千代田まで電車で行って、芝山千代田から東成田経由で空港に行くことにしました。
写真は空港からの3600形の本線特急。
成田までもう少しと言ったところで、またも空港方面から3600形がやってきました。
俺「おっ、3600じゃんやっほー」
3600「あぁ、やっほー(幕を回しながら)」
俺「?」
3600「どうかした?」
俺「なんでお前幕回してるの」
3600「何でって、そりゃ成田で折り返すからだよ」
俺「ちょっと待って日中に成田で折り返す8両ってあるかよ」
3600「よく見てみろよ」
俺「!?!?!!」
びっくりしてテンションあがって結局訳わかんなくなって成田駅まで早歩き早歩きかい
3600くんは切符を買って録音準備をしている間に行っちゃったので、戻ってくるまでしばらく待機。
スカイアクセスでの運用がメインの3050形ですが、おうちは本線の宗吾参道。
3050「午前中の仕事終わり~。ちょっと休憩~」
そんなことをしていると、芝山千代田行きが来たようです。
3600「やぁ、君はさっきの」
俺「やっぱり芝山シャトル運用かw」
この3600形、すごいんです。
上野で会った3600いましたよね?
あれ、もともと6両だったんです。
本線特急の8両統一を図る際に、3600形は編成の組み替えをします。
中間車の増備ではなく、組み替えです。
6両編成の中間車は全部で4両。これを3セット用意します。
で、別の6両編成にぶち込む。それだけ。
これによって、6両編成9本が8両編成6本になりました。
余った3編成の先頭車ですが、これを捨てるのはもったいない。
なら、モーター付けて走るようにすればいいじゃん。
という訳で、2+2+2の余りもの編成を組み、そのうち前後の2両ずつにモーターを積ませます。
積んだモーターは、交流モーター、要するにVVVFインバータ制御でコントロールするモーターです。
もともと3600形は直流モーターを使っていたので、制御方式は全く違います。近鉄なら改番は10や20では済まないでしょう。
さらに、空調などの電源を確保するための装置*1と、ブレーキやドア開閉で使う圧縮空気を供給するコンプレッサーを積みます。
これもまたすごいもので、廃車になった赤電*2のお下がり。
ですから、パンタが上がっている間はずっと赤電のMGの音。空気が足りなくなればコトコトコトコトとコンプレッサーの音が鳴り、発車する時にはVVVF音、車体が傾けば空気ばねの音がしますから、相当変です。
実際、東成田でそれらの音が融合した時は、とにかくカオスの極み。
音鉄歴5年(にわかの時代を含めたら12年くらい?)の私でも聴いたことのないような音。
思考回路がぐちゃぐちゃのまま、終点の芝山千代田に到着。
車内を巡回していた千葉県警のお巡りさんは、この車両のカオスさわかるかなぁ?(
ところで、なんで警備員じゃなくてお巡りさん?
実はこれ、芝山鉄道の日常なんです。
芝山千代田駅の目の前は、空の玄関口成田空港。
成田空港は、国有地の他に近隣住民の田畑だった土地を使ってできた空港です。
先祖代々受け継いできた土地を守りたい地元住民や中核派をメインとする空港反対派と警察や政府との争いが激しく起こったことで有名です。
一番有名なのは三里塚闘争。
動画を貼ろうかと思いましたが、ちょっとこれは今後の展開がかなりアレになるのでやめときます。
今、書きながら別のタブで三里塚闘争の動画を見ましたが、身震いが止まりません。
ですが、県民としてこの事件がどんなものかを簡単にでも知っておいてもらいたいので箇条書きで書いておきます。
・警視庁の機動隊でさえも手におえないほどの人数
・火炎瓶によって警察車両が燃える
・反対派の作ったバリケード(と言うかやぐら)を壊して空港建設に取り掛かろうとする重機に対してこれまた火炎瓶
・開港直前に管制塔を占拠
・反対派・警察官ともに死者負傷者多数
あぁやべ、この先書くの嫌になってきそう。
落ち着いた。
芝山鉄道は、空港建設の見返りとして地元住民が自治体に要望してできた鉄道で、遠心も計画されているが、この先に線路が続く日は来るのやら……。
線路沿いの道を歩き、東成田駅に向かうことにします。
木の根トンネル。これは空港の真下を通るので、どちらかと言うとアンダーパスのようなもの。
車も人も電車も、仲良く同じトンネルに入っていきます。
先が見えねぇぇぇ……。
やっぱりここも警戒態勢で、防犯カメラがきっちりついています。
誰も通らないトンネルですが、それを狙った犯行もあり得なくもないですからね。
20~30分くらい歩いて、着きました東成田駅。
ちょうど、パトロールを終えた警察犬とトレーナーさんが奥の建物に戻っていきました。
あんまりむやみやたら撮ってると捕まりそう……って、シャッターを切った後に思った。手遅れ\アーッ!!/
エスカレーターは運転をしておらず、柵代わりにこんなものが。
最近になってようやく駅や空港での検問*3も廃止されましたが、昔はどうだったのか。上から読んでいきましょう。
お知らせ
「成田空港駅」(旅客ターミナル地下駅)ご利用の皆さまへ
……。ん?
成田空港駅って書いてありますね。
別に成田空港駅から持ってきたわけじゃないですよ。
いや、まぁ成田空港駅から持ってきたと言っても間違いじゃないか。
しかし、立地は空港敷地の端っこで*4、利用客はバスへの乗り換えを強いられていました。
が、1991年にJRと京成の2社が揃ってターミナル内への乗り入れを実現、現在の成田空港・空港第2ビルの2駅が開業しましたが、同時にこの駅は東成田に改称されることになりました。
たった13年という短い時間だけしか成田空港の名を名乗れなかった悲しい駅でもあります。
コンコースは無駄に広い。
一応、私の他にスーツ姿の男性もいたけど、他にはだれもいません。
日本の玄関として、立派な芸術作品も飾られていますが、それを見る人はほとんどいません。
そろそろお昼です。
お腹もすいてきましたが、こんな駅(失礼)にはレストランどころかコンビニすらありません。
だ っ た ら 歩 け ば い い だ ろ う
500m、長い道のりです。
大体10分くらいで到着。
ちなみに、この左側には警備員さんが警棒とジュラルミンの盾をそばに置いて台の上に立ってます。怖い怖い。
空港ねぇ……。
そうか、こんなに広かったのか。
なんせ今までの人生で飛行機に乗る機会は2回しかなく、しかも赤ん坊の時と小3の時ですから、記憶もだいぶ飛んでいます(・_・)
適当に、その辺のラーメン屋でお昼ご飯。とんこつラーメンです。
ごちそうさまでした。
駅に戻る途中、アナウンスが。
「〇〇航空、パリ行きn便は、通常通り運行予定ですが、今後の情報次第では、日本に引き返したり、ヨーロッパの他の空港に着陸する場合があります」
何かあったっけ、火山の噴火はずいぶん前だし……なんて思ってたら思い出した。
テロだ。
その時はまともにニュースなどを見ていなかったせいでほとんど実態を知りませんでしたが、多くの犠牲者を出したテロ行為が起こった翌日です。
今、記事を書きながら「そういえば」と言って書いています。早くも記憶が薄れだしています。
テロを許してはいけない。そして、忘れてはいけない。
また微妙な空気になっちゃいました。
今ここは、空港のターミナルから出て振り返ったところです。
そこのカウンターで、つい最近まで検問が行われていたようです。
過激派も勢力が衰えてきて、ようやく普通の空港に近づいたようなところがあります。
東成田に戻ってきました。入場券を買って、ホームへ行ってみようと思います。
もともとは4番線まであったホームも封鎖され、1面2線の駅となっています。
列車が通っていても何かが出そうで怖いなぁ……。
向こうのプラットホームが封鎖されたホーム。
奥の壁にはいまだに、「なりたくうこう」の文字が。
あぁぁぁ、深夜にこの編集したくないよぉぉぉぉぉ
怖いよぉォォォォォォォォォ
旧駅名標とのコラボ。
芝山鉄道が開業する2002年よりも前は、日中でも都営線方面への列車がこの駅を発着していたようです。
2002年以降は芝山千代田⇔京成成田の所謂「芝山シャトル」運用に切り替わり、日中は完全に本線と分離した運行形態となりました。
この壁の向こうに、いろいろな人のいろいろな感情が閉じ込められている。そんな気がします。
駅を出ます。目の前には管制塔(多分)
いずれにせよ、重要な建物であるには違いありません。
トンネルの中を見ているのは私とコンデジと無数の防犯カメラだけ。
ここでアスナさんとイチャイチャしても絶対ばれないだろうなぁとか、不純なことを考えつつ芝山千代田まで歩きます。
!?
千葉にこんな場所があるなんて、思いもしませんでした。
芝山千代田に到着。立派なつくりですよ本当に。
この先まで線路が延びるのはいつの日になるのか。
蓮沼まで線路が延びたら蓮沼ウォーターガーデン行きたい()
航空博物館、ずいぶん前に成田に住む祖父母に連れられて行ったなぁ。
もう一回行って、空港建設の歴史を学びなおしたいです。
あ、そうそう。
チャージが出来ないとかじゃなくて、本当に改札から出れません。
予め切符を買ってくださいね。
ボタン式の券売機も最近見なくなりましたね。
飛行機がいっぱい。飛行機はよく分かりません。近鉄の方がまだわかりますさっき、昔買ってもらった子供向け図鑑で5820系を9020系と表記する誤植を見つけてしまった。LCカーで明らかに2両じゃないのに9020系ってのはおかしい、5820かなと思ったら、予想的中だったやったぜ。
こっちにはいかにも警備車両な車たち。
見た目からして古そうな車両。
比較的新しいのかもしれないけど、やっぱり古い。
出動する回数が少ないから古いままなのかな。いいことだ。
レールの錆はほんの一部分しか取れていませんね。
空の旅、いってらっしゃい。
雨のせいか冷えてきましたので、保登心愛ホットココアでも飲んで体を温めましょうか。
アスナさんも一緒に芝山千代田まで来たけど、彼女の目にこの鉄道はどう写ったのかな。
そんなことしてたら来ました。芝山シャトルは、日中の間ずっと同じ編成が担当します。
成田に戻ります。
再び成田駅。
ガラガラです。おかげで運転席直後を取れました。
入線までまだ時間がありますが、他の列車は眼中にないのでとりあえず待機。
この日はちのすわも乗るため成田まで来ていました。と言うことでおしゃべり。
もはやライナー用ホームとなっている成田駅3~4番線。
ちなみに2番線(右側)と5番線(左側)に入線する電車はこちら側のドアは開けません。
宗吾参道から出庫し、空港へ向かう回送のAE形。
今、京成の有料速達列車はみんな彼の仕事。
唯一残ったのがシティーライナーでしたが、じきに廃止になります。
後を追うようにAE100形も5番線に入線。
帯のハゲが痛々しい。
3600形との共演。
これが撮りたかっただけ。でも、もう映らなくなるかもしれないから……。
ちなみに、回送されたAE100形は東成田で折り返し、成田へ戻ってきます。
3400形です。初代の足回りは今日も元気に成田・西馬込・そして羽田まで。いろんな所に顔を出しています。
AE100形も、2代目AE形も成しえなかったことを、車体を載せ替えた彼女はこなしています。3人称は車両のイメージで変える派ですどうも。
どこ撮ってんのちのすわ( )
そして来ました。停車時間はほんの数分。みんなで顔を撮ったら一斉に移動。彼も思わず苦笑い……しているように見えますかね?
多分これ以降シティーライナーに乗ることは無いかな……。てかおっさんウザい。何で小田急の話を持ち出すの話しかけてくんなテーブルの上にマイク置いてあんのみえねぇのか
いつも撮ってる実籾付近を通過。
そしてあっという間に上野に到着。軽く寝ました( )
いろんな幕が入っていても、使うのは3つだけ。
素敵な時間をありがとうシティーライナー。
さて、津田沼まで帰ろうと思いますが、せっかくなので駅メモしながらちはら台まで行っちゃいましょう(
上野からちはら台までは1時間半。
とうちゃーく。
外は真っ暗。さっさと帰りましょうかね。
芝山鉄道も、千原線も、その先に伸びそうで伸びない。もどかしいですね。
今度こそ帰りましょう。
津田沼に着いた列車は引き上げ線に移動して、その後また千葉方面へと向かいます。
京成しか乗っていないのに、非常に充実できる旅でした。
それでは、また次回。